いまさら出産時のことなど。

いつのまにか秋になってしまった・・・・。

縁あってお産の体験談を書く機会があったので
いまさらながら当日のことを書き留めてみた。
助産院で産もうと思っていない人にとっては、
もしかするととんちんかんな内容かもしれない。


淡々と時系列で書くつもりが、
どうにも長くなったのでたたみます。
よかったらどうぞ。



2006年2月9日。
朝の5時頃、ヒヤッとする感じがして目が覚めた。
出産予定日を2日過ぎていたので、「お、やっと破水?」とうきうきチェック。
ところが、出てきたものはたしかに羊水っぽいけれど、
ところどころに濁った黄緑色の部分があって、なにやら怪しい。
おかしいな、両親学級で習った破水の様子は「無色透明」のはず・・・。
ひとりで考えていてもしかたないので、まずは助産院に電話。
「念のため見せてください」とのことで、夫を起こして車で向かった。


朝9時半、助産院のY先生に見てもらうと「羊水混濁かもしれないね」との診断。
内診してもらうが、今出ている羊水には濁りがなかった。
「多分問題ないだろうけど、念のために早くお産をを進めた方がいいね」と
言われて、ひとまず安心。
ああ、今日産むのかあ〜などとぼんやり考えつつ、助産院そばのスーパーで
階段昇降して子宮の収縮を促してみる。
このときはまだ陣痛はかすかで不規則だった。


午前11時半。
助産院近くの鍼灸院で、お産を促進するための施術と、羊水混濁対策で免疫力を
上げる施術をしてもらう。
1時間以上の念入りなコースを終えると、陣痛がほんのり強くなってきた気がした。
なのに、最後にトイレに行くと、なんとまた黄緑色の羊水が!
心なしか、朝よりも緑色が濃くなっているような気がする・・・。
朝の診察のとき、「羊水混濁は、何らかの問題があって赤ちゃんが苦しくなり、
胎便を羊水のなかに出してしまう状態。その羊水を赤ちゃんが飲むと
感染症を起こして障害をひきおこす可能性がある」と聞いていた。
まずい、ゴマ子が苦しんでる!?と思い、あわててY先生に電話。
症状を話すと、少し考えた後「病院で一度診てもらった方がいいかもしれないから、
ちょっと待ってて」と言われる。
え、この後病院も行くの?と思いつつ、まあ検査くらいなら陣痛がひどくなる前に
助産院に帰れるか・・・などと軽く考えていた。


午後2時ごろ助産院に戻ると、Y先生が待っていた。
そして、「リスクが高いので残念だけどここでは産めません。
手続きはしておいたので、病院で出産しましょう」とさらっと告げられた。


え?ここで産めない?
その瞬間、ぶわっと涙があふれてきた。
ショックという気もせず、なんか他人の話のような感じなのに、涙が止まらない。
Y先生が付き添ってくれて、夫の車で近くのS病院に向かう間も頭は真っ白なまま。
「話は聞いています」と若い男の先生が迎えてくれて、気をつかって明るく
話してくれるのだけど、何を話したのやらまったく覚えていない。
手早く引き継ぎをして、Y先生が「じゃあ明日、迎えにくるからね!」と
帰ってしまうと、夫と2人、孤島に取り残されたような気がして、
なんともいえない心細さが静かに押し寄せてきた。


(子のことを考えれば、これでいいんだよな・・・)
(そんなに危ないのかな)
(でも毎日一万歩歩いていたのに)
(何がいけなかったのだろう)
(仕事中の不規則な生活がいけなかったよな)
(そういえば昨日もおしるしらしいものがあったのに、見過ごしたせいか)
(それより赤ちゃんは大丈夫なのだろうか)
(ここではどうやって産むんだろう)
ぐるぐると考えてはいたけれど、涙はとまらないし、ことばがうまく出てこない。
「どうしよう」「なんで」「どうしよう」と繰り返していた。
そのあいだ、隣の夫はずっと黙って座っていた。
が、しばらくして、突然覚悟を決めたように私の手をしっかりと握った。


夫はもともと、俺は俺、お前はお前という感じの人。
助産院で産みたいという話にも、そう、君が決めたならそれで。とあっさりしていて
特に賛成も反対もさしたる興味もなく、両親学級もなかば無理に出席してもらった
ようなものだった。
この日も、ここまではいつもどおりのモードだったので、
突然の行動にしばらく「???」と目が点になった。
でも不思議なもので、手の温かさが伝わってくると、そのうち自然と涙も止まり、
とっちらかってばらばらになった気持ちがゆっくりと自分のなかに収まってきた。
ひとりじゃないことが有り難かった。
そうしてだんだん、突然の入院をOKしてくれた病院に感謝する気持ちが湧いてきて、
「こうなったら全部受け入れよう」と思えてきた。
「ここは助産院じゃないけど、2人でできるだけやってみよう」
がっちりつながれた手からそういうメッセージが伝わってきた。
わたしの覚悟は決まった。


もろもろの検査は1時間以上かかり、用意された個室に入ったのは午後6時頃に
なっていた。
夫はその間もずっと手を握ってくれていた。
陣痛はまだ強くなる気配がない。
先生からは「今のところ赤ちゃんは元気なようですが、遅くなればなるほど危険
です。今夜中に分娩を終わらせたいので陣痛促進剤を使ってお産を進めましょう。
もしそれでも進まな負ければ帝王切開になります」と説明された。
帝王切開の可能性には若干ひるんだけれど、もうなるようにしかならない。
「お願いします」と答えた。


午後6時半。
陣痛促進剤と栄養分の点滴を片腕に、モニターをもう片腕につける。
なんだか病人のような両腕を見ながら、朝家を出た時にはまさかこうなるとは
思っていなかったなあ・・・とぼんやり考える。
陣痛が強くなる前に、と夫は急いで入院用の荷物を取りに行き、
わたしはひとり促進剤の効果を待つことになった。
Tさんという助産師さんが「助産院で産みたかったですよね、たいへんですね」
となぐさめてくれる。なんとなくほっとして話していると、それまでおだやか
だった陣痛が急に強くなってきた。
さすが促進剤パワー、と思いきや、Tさんもその早さにびっくりしている様子。
もしかしたら鍼灸院での施術との相乗効果なのだろうか・・・。
しかしとつぜん津波が襲ってきたような感じで、ついていくのが難しい。
痛みに逆らわず、波に乗るように・・・Y先生の言葉を必死で思い出し、
痛みに乗って声を出してみる。


午後7時半。
夫が戻ってきた時には、わたしはすでに生きる絶叫マシンと化していた。
びっくりしている夫に手を握ってもらい、組み手のような感じで全力で押す。
夫も両親学級で習ったとおり、一生懸命励ましてくれる。
痛みが最高潮になってからどれくらいたったか・・・と思ったがまだ8時すぎ。
むしろ気が遠くなればいいのにと思う。頭の片隅だけが妙に冷静な感じで、
自分がふたつに別れたような妙な感覚。
Tさんに内診してもらうと、わずか2時間ほどのうちに子宮口は全開になっていた。
先生がやってきて、「では分娩室に移動しましょう」と言われる。
「動けますか?」と聞かれても返事なんて無理無理。病院で産む妊婦さんは自力で
動くのか、すごすぎる、と冷静な部分で思いつつ、実際は点滴のスタンドに
すがりつき、キャスター付きの椅子に載せられて奇声をあげながらごろごろと
数人がかりで運ばれて行った。


分娩室はありがたいことに照明も暗く、分娩台も背の高いベッドのような
つくりだった(ような気がする)。
痛みで記憶もあいまいだけれど、夫は必死で暴れる身体を押さえてくれていた。
後で聞くと、夫も分娩台に乗ってしまっていたらしい。
何百回痛みの津波が続いたかわからない。気がつくと、会陰の当りに頭がはさまった
ような感じになってきた。痛いというか焼け付くように熱い!ってこのことか!
「ここが山だな」と思いきや、そこからが長いこと長いこと。
「力んでもいいよ」と言われて必死で力んでもまったく進まない気がする。
言うまいと思っていた「痛い」ということばも抑えられない。
「もう少し、もうでるよ」「髪の毛がふさふさだよ」と夫や助産師さんにどれくらい
はげまされただろうか。ふっと痛みが遠のき、赤ちゃんの頭が出たのがわかった。
「ほやあ、ほやあ」と声がする。
ああ、終わるんだ・・・と気が抜けて行く。
同時に、何やら先生や助産師さんが忙しく動き出す。
どうやら赤ちゃんの飲んだ汚れた羊水を吸い出す処置をしてくれているようだった。


午後10時4分、ゴマ子が誕生。元気に泣いているのがなんとなくわかった。
でも顔をみる間もなく、検査のために連れていかれてしまう。
それをさみしいと思う気力もわかなくて、ただただ脱力していた。
ふと傍らを見ると、夫が泣いていた。
「えらいよ、すごいよ」とつぶやくその顔を見て、ちょっと我に返った。
ほとんど感情を出さない人なのに・・・。もちろん初めて見る涙だった。
もうこんな顔を見る機会はないだろう、なんかいいもの見たな・・・、と
感慨深い気持ちになる。


少しすると先生が赤ちゃんを連れて戻ってきた。
「赤ちゃんは大丈夫です。感染症もないし、なんの問題もありません」と
教えてくれる。
やっと目の前にやってきたゴマ子は、真っ赤で、ちいさくて、手足が細くて・・
背中の毛がふさふさしていた!
知っているはずなのに初めてみる顔。
こんな顔だったんだ・・・。へええーへええー!
初めまして、おつかれさま、ようこそ・・・元気でよかった。
おっかなびっくり抱っこしてみると、たよりなげにふわふわしているのに、
ずっしり重かった。


助産院での出産時の事故の話題が最近よく取りざたされているけれど、
自然出産を望む時には「大丈夫/危険」の見極めがとても大事なのかもしれない。
Y先生の判断。助産院と病院との連携(これが難しいらしい)。現代医療。
そのすべてが揃ってくれたおかげでゴマ子は元気に産まれてくることができた。
望み通りの「自然な出産」だったかと言われれば、そりゃ違った。
促進剤をばんばん打ったし、切れた会陰も縫合されてしまったし、
分娩台では身動きがとれなかった。
結局「これがいやだから助産院で産もう」と思ったこと全部を達成してしまった。
けど、そんなのがどうだっていうんだろう?


このちいさいひとの重さを、家族で感じられるしあわせ。
それだけでいい、ほんとうにありがたい。
そう思った。




・・・とはいえ、出産翌日に助産院に戻り、陽の当たる畳の部屋で
親子三人、川の字に寝ころがると「やっぱこれだよな〜」としみじみ
思ったのも事実だったりする。



ちなみに、突然最良のパートナーに変身した夫は、出産後迅速に
通常モードに戻ってしまった。
やっぱりあれは夢だったのか・・・。
とはいえ、出産前から考えると驚くほどの娘ラブを発揮して、
小声ながら絵本を読んであげている姿を見ると、この出産体験が
彼に与えた影響は大きいんだろうな・・・とも思う。